激変!?定年後の介護と日本社会の堕落は相関がある
65歳以上を高齢者とした場合、日本は3588万人に到達したというニュースが知らされた。人口比率でいうと28.4%世界最高だそうだ
更に問題なのは高齢者の鬱(認知症含む)これが4人1人が発症すると言われている
昨今では「少子高齢化」が当たり前のように詠われるも、その重大性の理解が無いまま私たち国民は日々過ごしている。
この先待ち受けているのは、「急激かつ慢性的な貧困化」である。
AIによる仕事減少などと世間に躍らせれているが、あれは全くの嘘
世界最大の高齢化国に未来を創れる力がないから、仕事も子供も増えていかない。
そんな事態に対し国民は高齢者に対し「無関心」になってしまっているのであろう。また高齢者側にとっても罪悪感も感じひっそりとしたいのかもしれない。
私の例を記載しよう
今年でちょうど70歳になる私の父がいる、父は現在一人暮らし。
今風に言い換えれば「独居」である。
子供は男1人女1人の2人兄妹で昭和60年代に建築した横浜市の1戸建てを
35年ローンで購入し、”家族の為”という思いを心に刻み
40年近くサラリーマンを全うした。
残念ながら父が58歳の時に最愛の母は病気で他界
無口で真面目な父の唯一の楽しみは帰宅後500ml缶焼酎を飲み干す時であり、幸福に満ちた顔をしていた。
父が65歳を迎え、ついに定年「働くことを辞めた」数百万円の退職金を手に
解放感と幸福感に満たされ、これから開ける新しい未来に目を輝かせている様にも映った。
ところが「高齢者の鬱」発症し始めたのは定年後5年かからなかった。
その間僕と妹は父から離れそれぞれ別々の家族を作り、父には孫まで生まれた。
幸せを手に入れたかの父に一体何が起きたのであろうか?
やる気と自信に満ち溢れていた父は、電池が切れた電球の様に暗雲に満ちた表情にすり替わった
父は「働く事」を辞めてから、目的や目標を失い、いつしか飽和と堕落の道へと歩いてしまった。
かといって働きたいという意欲もわかない。
「日々つまらない」という事を発しながら、すがる様に週に何度も電話をしてくる。
結局のところ、私たち兄妹は父を結局神奈川県内の「特別養護老人ホーム(通称:特養)」へわずかなお金を出し合い入居させた。
全く不本意な結果である。
ここで重要なのは私たち非高齢者が「高齢者と介護に対する認識の薄さ」である。
もっというと身近な人間に対してもその程度のリテラシーだが、社会に対して更に無関心になっている点
高齢者に限らず、人は目的や目標を失った瞬間、今まで煌めいていた価値観は艶の無い価値観へとすり替わってしまう。
自分自身の価値観とプライドは社会的価値は同一ではなく、摩擦することが多々発生する
価値観を失った瞬間、人間はクズになる。父にとっての価値は目的は「家族を養う事」で、目標や活動が「働く事」だったが
これらは定年と共に価値観を失っていた。その事にもっと気づいてあげるべきだったと反省している
(目的+目標)≒価値観が維持できている事が人間にとっての幸福を体感する事が出来る
私たち家族がやるべき事は新たな人生というテーマに目標、目的、価値観を紐づける事をまずやらなくてはならなかった。
これから先急増していく「彷徨える高齢社会人」が増えれば増えるほど、日本経済は堕落と飽和へ一直線になる
ここを解決する必要性がある。そして、そのことに気づこうとしない非高齢者が関心を持つようなメカニズムを生み出さない限り
この国の経済はつぶれる